箱崎八幡神社 <鹿児島県出水市>

傘寿+1の旅 阿吽未知の國鹿児島県探訪で出水市の箱崎八幡神社を訪れた。
出水市は日本最大のツルの越冬地。入口で出水市の象徴のツルが向かえてくれる。
神門に吊るされた高さ4m、直径3.4m、重さ5トンの「成せば成(鳴)る。大願成就の日本一の八幡大鈴」がある。


「成せば成(鳴)る。大願成就の大鈴」

大きさは、高さ4m、直径3.4m、重さ5トンあり、鶴の里出水ならではの鶴の親子の舞いを浮き彫りにした日本一の大鈴があります。

また、敬宮愛子さまご誕生記念に建立された宝物鈴殿には、神社に伝わる三十六歌仙、神楽面等、そして日本一小さな鈴が納めてあります。


由緒

島津家始祖忠久公が初めて鎌倉より山門院野田へ下向の途、筑前博多の沖で逆風に遭い、まさに難破しそうになり、筥崎宮に請願して難を免れ、無事山門院荘之浦に着船できたので、当社を勧請したと伝えられる。

最初の勧請地野田より米之津名護浦、次に沖田(今和泉六月田)、更に現在地には文明の頃薩州家二代島津国久公が遷したという。

又一説には、弘安四年の元寇の時、本家島津氏の命で薩州家三代島津久経公は箱崎の津に出陣し、筥崎宮に参拝して一心に異賊討滅を祈願され、殊勲をたてられた。よって八幡宮の御分霊を奉戴して凱旋し、薩州出水郷(当社)と隅州吉松郷の二ヶ所に勧請して国境の守護神として厚く崇敬されたとも伝えられる。

永禄六年薩州家六代義虎公が再興したが、豊臣秀吉の薩摩入りによって出水が直轄領となった時、当社と別当寺の成願寺も破壊され、慶長四年義弘公の朝鮮の役の功により出水が復されると、十八代藩主家久公が別当寺とともに再興した。昭和九年までは例祭の浜下りに、前の鎮座地名護浦まで神輿と甲冑の武者行列があった。明治十五年、氏子相計り義金を以て社殿が造営された。その後、明治・大正・昭和の約百年を経て再び改築の期を迎え、昭和五十五年、氏子有志の募金により新社殿が、また、昭和天皇御在位六十年奉祝事業として、平成元年十二月に社務所及び参集殿が、伊勢神宮御鎮座二千年、さらに今上陛下御在位十年の奉祝記念事業として、平成十年秋に日本一の八幡大鈴(直径三・四m、高さ四m、重量五千kg)を吊る神門が、氏子崇敬者の奉賛金により竣功された。さらには、敬宮愛子内親王殿下ご誕生記念事業として、平成十五年一月には当社に伝わる三十六歌仙と神楽面が拝観できる宝物鈴殿が造営された。



2024年9月3日
鹿児島県出水市上知識町46

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参道入口


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参道


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参道


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参道


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御由緒


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神門


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大鈴


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御随神


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御随神


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参道


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参道、狛犬、社殿


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社殿


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社殿


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参拝記念大鈴


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